滝を見に行く/元町映画館
平日の午後に観に行ったせいか、客層は50代以上の中高年がほとんど。
男性も多い。
あらすじは、バスツアーで幻の滝を見に行った「おばちゃん」7名が、ツアーガイドとはぐれて遭難し、一晩を山の中であかす。
それだけ。
本当にそれだけの話である。
しかも、7人のおばちゃんを演じるのは、ほとんどが素人同然の方々ばかり。
ちなみに、最後に出てくる農家のおっちゃんも、スタッフのロケハンに同行(?)した素人さんをそのまま起用したそうな。
だからだろうか、ものすごく演技が自然。
学芸会じみた棒読みではなく、かと言って大げさなお芝居でもなく、本当におばちゃんたちのお喋りを見ているかのよう。
遭難したことを自覚し、あわてふためくおばちゃん達。
とりあえず、腹をくくって脱出を目指すおばちゃん達。
野宿を決め、食べ物を調達するおばちゃん達。
たき火を囲み、昔のコイバナに花を咲かせるおばちゃん達。
夜空を見上げながら、「恋の奴隷」をみんなで合唱するおばちゃん達。
強くたくましく涙もろく優しく図太とくて可愛い。
何だこれ、“女の子”そのものじゃないか。
幼くても、女の子から女性に成長しても、おばちゃんになっても、おばあちゃんになっても、女性はいくつになっても“女の子”をちゃんと持ってるんだな。
そんな静かな感動を静かにかみしめつつ、幸せな気分を感じた、神戸の昼下がりでした。
北野天満宮/京都・北野
東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ(菅原道真)
<春の東風が吹くようになったら、香りを届けておくれ、梅の花よ。私がいなくても、春を忘れないでおくれ>
この時期の京都で最も旬な場所といえば、この北野天満宮ではないだろうか。
梅の名所であり、学問の神様。
梅を愛でに来る者、最後の追い込みに賭け、神頼みに来る受験生。
この日(3/15)も、本殿前には長蛇の列が(※真正面から参拝したい人のみ参列、端でも構わない人は、並ばず参拝可)。
北野天満宮とは。
天暦元年(947年)に創建、平安時代に学者・政治家として活躍した菅原道真公を祀る、全国に一万以上鎮座する「天満宮」の、言わずと知れた総本山。
道真公は、幼い頃から勉強熱心で、最年少で国家試験に合格し、右大臣まで登りつめた才人。
ちなみに、学者の身分でこの地位を勤めたのは、道真と吉備真備の2名のみ。
遣唐使の廃止、中央集権的な財政システムの提唱など、非常に重要なポジションで朝廷の官吏として活躍を見せたものの、藤原氏の陰謀により無実の罪で大宰府に流され、ついに京へ戻ることなくその生涯を閉じる。
そして道真公の没後、京で災害が頻発し、道真の左遷に関わった者たちが次々と不慮の死を遂げるようになる(ちなみに、道真に励ましの手紙などを送り、支援した藤原忠平は無事であったという)。
そんな中、「道真公を祀られよ」との御神託を受けた右京七条の巫女・多治比文子(たじひあやこ)により祠が建てられ、これが北野天満宮の元となる。
この文子を祀った「文子天満宮」も境内にある。
北野天満宮と言えば、境内にたくさんいる牛。
なぜ牛なのか?
仮説として有力なものには「道真公の生まれ年が丑年」「亡くなったのが丑の日」「大宰府に下る際、牛に乗って行ったため」などがある。
道真の死後、遺体を運んでいた牛が途中で動かなくなってしまう。
ちなみに、境内に十数体いる髪牛の像はすべて座った状態で穏やかな表情をしているが、その中に一体だけ、立ち上がりかけているようなものがいる。
これは、道真の左遷を悲しんで身をよじっている姿だと言われており、表情もどこか悲しげなのだとか。
(この神牛、残念ながらブログ主は見つけられず。。。)
手水も牛。
本殿は国宝。
慶長12年(1607)に豊臣秀頼が造営した、八棟造り*1の桃山建築*2。
合格祈願の絵馬は、ペンもいただける。
以前夏に参拝した時には無かったが、新しく始まったサービスなのか、受験シーズン限定なのかは定かではない。
元々は道真公怨霊を鎮めるために造られた北野天満宮が、学問の神様として崇められるようになったのは、江戸時代に入ってから。
寺子屋が発達し、その際に「和魂漢才」の精神を持って勉学に勤しんだ道真公が教室で祀られるようになり、「学問の神様」としての信仰が広まっていったのだとか。
密かな見どころとしては、灯篭に彫られている大黒天さんの頬のくぼみに小石を乗せ、それが落ちなければその小石を財布に入れておくとお金に困らないのというお楽しみスポットもあり。
女体シェイクスピア 完熟リチャード三世
2月21日(土)ソワレ/ABCホール
2月23日(月)ソワレ(乱痴気公演)/ABCホール
登場人物20人を、7人の女優が演じるこの演劇。
ただでさえカタカナ名前に弱く、記憶力にも難ありの自分が、この芝居の流れを追えるとは到底思えない。
「あらすじのある物語の流れを追いながら理解し楽しむ」ことよりも、「ただただ目の前で繰り広げられる物語を観客として眺め楽しむ」ことに専念することにした。
そして、初回の観劇でおおよその流れを掴み、2回目でじっくり流れを理解しながら楽しむ。
こういった鑑賞の仕方が出来るのが、柿の醍醐味なんだよなあ。
「醜い容姿に生まれ心に歪んだ野心を持つ男が、周囲を憎み、呪い、騙し、崩壊させてゆく物語」という概要だけを頭に入れて、初回に挑む。
今回は、舞台上の大道具も小道具も、共に一切なし。
衣装は全員が黒いドレス。
正に「身体ひとつで演じる」タイプの演劇と言える。
案の定、誰と誰が兄弟で、誰が誰の母親で、などといった関係性の点には終始ついて行けなかったのが正直なところだが、くるくると変わる女優たちの役柄とその演じ分けを楽しんでいるうちに、「あれは●●の母親なんだな」「今はこういった展開で話が進んでいるのだな」といった事がうっすらと分かってくる。
それはまるで、うっすらと霧がかかり、ぼやけて見えていたものの輪郭が、視界が開けるにつれだんだんはっきりして形を捉えるような感覚。
第一回目の観劇でとても印象に残っているのが、七味まゆ味の演じるリチャードの母・侯爵夫人が、戦争へ赴く我が子・リチャードに投げかけた最後の言葉。
低い声で吐き捨てるように投げかけられた、たった二文字のこの言葉に、心底ゾッとした。
もうひとつ印象深かったのが、ラストの場面。
登場人物ひとりひとりが前に出てスポットライトを浴び、深く敬礼する。
最後にひとり取り残されたリチャードに、スポットライトは当たらない。
言いようのない悲しみを込めた表情を一瞬見せ、リチャードはくるりと踵を返し、憮然さを全身で表現しながら足早に舞台を去る。
狂気の果てに残された、たったひとつのものは悲しみだった。
リチャードを演じた安藤聖は、これをとても上手く表現していたと思う。
個人的には、本痴気は八坂沙織、乱痴気は葉丸あすかがMVP。
(敬称略)