北野天満宮/京都・北野
東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ(菅原道真)
<春の東風が吹くようになったら、香りを届けておくれ、梅の花よ。私がいなくても、春を忘れないでおくれ>
この時期の京都で最も旬な場所といえば、この北野天満宮ではないだろうか。
梅の名所であり、学問の神様。
梅を愛でに来る者、最後の追い込みに賭け、神頼みに来る受験生。
この日(3/15)も、本殿前には長蛇の列が(※真正面から参拝したい人のみ参列、端でも構わない人は、並ばず参拝可)。
北野天満宮とは。
天暦元年(947年)に創建、平安時代に学者・政治家として活躍した菅原道真公を祀る、全国に一万以上鎮座する「天満宮」の、言わずと知れた総本山。
道真公は、幼い頃から勉強熱心で、最年少で国家試験に合格し、右大臣まで登りつめた才人。
ちなみに、学者の身分でこの地位を勤めたのは、道真と吉備真備の2名のみ。
遣唐使の廃止、中央集権的な財政システムの提唱など、非常に重要なポジションで朝廷の官吏として活躍を見せたものの、藤原氏の陰謀により無実の罪で大宰府に流され、ついに京へ戻ることなくその生涯を閉じる。
そして道真公の没後、京で災害が頻発し、道真の左遷に関わった者たちが次々と不慮の死を遂げるようになる(ちなみに、道真に励ましの手紙などを送り、支援した藤原忠平は無事であったという)。
そんな中、「道真公を祀られよ」との御神託を受けた右京七条の巫女・多治比文子(たじひあやこ)により祠が建てられ、これが北野天満宮の元となる。
この文子を祀った「文子天満宮」も境内にある。
北野天満宮と言えば、境内にたくさんいる牛。
なぜ牛なのか?
仮説として有力なものには「道真公の生まれ年が丑年」「亡くなったのが丑の日」「大宰府に下る際、牛に乗って行ったため」などがある。
道真の死後、遺体を運んでいた牛が途中で動かなくなってしまう。
ちなみに、境内に十数体いる髪牛の像はすべて座った状態で穏やかな表情をしているが、その中に一体だけ、立ち上がりかけているようなものがいる。
これは、道真の左遷を悲しんで身をよじっている姿だと言われており、表情もどこか悲しげなのだとか。
(この神牛、残念ながらブログ主は見つけられず。。。)
手水も牛。
本殿は国宝。
慶長12年(1607)に豊臣秀頼が造営した、八棟造り*1の桃山建築*2。
合格祈願の絵馬は、ペンもいただける。
以前夏に参拝した時には無かったが、新しく始まったサービスなのか、受験シーズン限定なのかは定かではない。
元々は道真公怨霊を鎮めるために造られた北野天満宮が、学問の神様として崇められるようになったのは、江戸時代に入ってから。
寺子屋が発達し、その際に「和魂漢才」の精神を持って勉学に勤しんだ道真公が教室で祀られるようになり、「学問の神様」としての信仰が広まっていったのだとか。
密かな見どころとしては、灯篭に彫られている大黒天さんの頬のくぼみに小石を乗せ、それが落ちなければその小石を財布に入れておくとお金に困らないのというお楽しみスポットもあり。